2006年04月11日(火)

大切な人の自殺  永遠の「なぜ?」 [自死遺族]

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 代表の阿部です。


 FCCNのブログを管理し始め数日経ちました。PC素人ながらも充実した時間が過ごせています。

 ブログ管理で記事の「アクセス数のみ」が分かるしくみになっているのですが
「自死遺族」というカテゴリーにおいてはアクセス数が多いのに驚きと納得という複雑な気持ちでいます。


 自殺=自死
 亡くなった大切な人たちは、うつ病だったり様々な心の重荷を抱え、自ら命を絶つという事を決行されました。

 遺された者は、そこで永遠の「なぜ?」を抱える可能性が高いと思います。


 「なぜ死んだの?」
 「なぜ言ってくれなかったの?」
 「なぜ死を選んだの?」
 「なぜ突然消えたの?」
 「なぜ私を置いていったの?」
 「なぜ生きてくれなかったの?」
 「なぜ私の身にこんな事が起こるの?」


 永遠の「なぜ」に答えは得られません。

 そこに起こる悲しみはとても深いものであり、またどこにもやり場がなく、 
 遺された者の心の中にだけ渦巻いていく可能性が高くなります。


 自殺という事が世間に顔向け出来ない感覚を感じたり、その事から外に出るのが怖くなったり、
 様々な悪循環を生んでしまうかもしれません。

 または家族でその事を話ことさえタブーになり、とても大きな事であるにも関わらず、
 「見ざる、言わざる、聞かざる」状態であることも珍しくありません。

私は見ざる言わざる聞かざるの他に「泣かざる」もありました。

「何も無かったことにする」これが生きてこられた一番のワザだと思います。

しかし、自分ではごまかせていたつもりでも本当の悲しみはどんどん溜まり、腐敗し、膿みとなって出てきてくれました。
 痛かったけれど、出てきてくれて今は感謝です。
 だって、身体からのサインだったのです。
 身体が「自殺されて悲しいよ〜。寂しいよ〜。」と本当の気持ちがあることに気が付かせてくれたのですから。

 私は、セラピーやカウンセリングにおいて、こころの傷と向き合っています。
 人生における様々な所にその影響が残っていると自覚したからです。

 些細な出来事に不適切な恐怖を感じたり、心臓がドキドキしたり、発狂したり、不安で眠れなくなったり、人との別れと名づくものは皆嫌いだったり・・・色々です。


 ところで
 永遠のなぜに答えがあるのなら聞きたいです。納得いくとは思えませんが・・・。


次回は永遠の「私があのとき・・・あぁしなかったから・・・」(罪の意識)についての記事にいたします。

自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう

自ら逝ったあなた、遺された私―家族の自死と向きあう

遺されたものの感情や思考、行動や疾患などの第1期〜第4期までの変化なども載っていて参考になります。

Posted by abe at 22時43分   Comment ( 9 )

コメント

  「死」について思うこと

どんなお金持ちでも、貧乏でも皆等しく死ぬのです
愛する人との 死別は辛いものです。だからこそ
今目の前にいる人を大切したいと考えます。
明日お別れするかもしれないし
死というものを意識したときから 人を傷つける言葉は
出なくなり  そんなに欲張ることも必要ないし
自然と  やさしくなれるはず
死はまだ死んでいないのだから  恐れることないし
きっと  またいつか 会えます
そのとき 初対面でも どこか懐かしい気がするかもしれませんね(^^)

2006年04月13日 20時47分 [削除]

代表の阿部です。

コメントありがとうございます。

笑さんは、「死」に対して、すでに答えみたいなものを持たれていらっしゃるのですね。
その事が人間関係での優しさを持つ事などにも影響があり、穏やかな人生を歩まれていらっしゃるようですね。
とても羨ましいです。


大切な人を「自死」によって亡くされ、遺された経験を持つ人にとって、
「死はまだ死んでいないのだから 恐れることはない」という言葉を理解するには一生かかるかもしれません。

「自死」による「死」は大切な人であればあるほど、遺された者は
「受け入れられない」ものである可能性が高いと思います。

自死によって大切な人を失い、遺された人にとって
自分以外の人の「まだ来ぬ死」も「この世の終わり」位の恐怖なのです。

自死で遺された経験は、PTSD(外傷後ストレス障害)
というものを発症する事も珍しくありません。

自死で遺された経験は、その後の「まだ来ぬ死」を現実として理解するのはとても難しいと思います。



ソウルメイトや前世という言葉があります。実際にセラピー(心理療法)でも取り扱われています。

初対面でもどこか懐かしい気がする。
このような経験を持つ人はいらっしゃると思います。


と同時に、「自死」によって先立たれた人にできるものなら、
もう一度会って、「永遠のなぜ?」をぶつけたい・・・。
この思いは口に出しては言えない傾向があると思います。
そしてこの思いはとても「デリケート」な部分だと思います。

きっとまたいつか会えるという優しい言葉さえ、
自死遺族にとって孤独感を強めることになるかもしれません。
それほど「デリケート」な問題だと感じています。

デリケートな問題なので「自助グループ」の様な似たような経験を持つ人の集まりが、
有効なケアの場になるのもうなずけます。



亡くなった方がどの様な死だったのかで、変わってくるかもしれませんが、
笑さんの死についての思いに、励まさ、力をもらう方々もいらっしゃる事と思います。

abe 2006年04月14日 11時20分 [削除]

  死別

  私には  お腹に新しい命がやどり
この腕に 抱くことの無いままの天国に行った子供がおりました。
一人目は  無事に生まれたのに 何故流産してしまったのか 悲しいのと  自分を責める日々でした
月日が過ぎても  絶対に忘れることが出来ません
私だけの胸の中にしまっておきました。
でもあることがきっかけで  その子の 魂を
感じる出来事に  遭遇したのです。

この感覚を うまく表現する  言葉がみつかりませんが   姿形は なくても  愛するひとは  そばにいます  そして 愛する人の幸せを 必ず
応援しています。(^^)

2006年04月14日 20時48分 [削除]

代表の阿部です。

コメントありがとうございます。

流産という悲しいご経験をされていらっしゃったのですね。
月日が流れても決して忘れることができませんよね。

悲しさや自責の気持ちもとても深いものになってしまうと思います。


そんな中、魂を感じる出来事に遭遇されたのですね。
とても暖かな経験だったのではないでしょうか。

感覚をうまく表現する事が出来ないのは、もどかしさが残ってしまうかもしれませんが、
体験の暖かさが文面から感じられました。

感覚は言葉よりも真実です。

abe 2006年04月14日 23時03分 [削除]

私も永遠のなぜに答えがあるなら聞きたいです。

癒しの道を歩み始め、こころの傷から来る影響が
少なくなっているのは感じています。
以前から比べると、楽になってきました。

でも・・・私の心の中には、まだまだ「なぜ?」が
渦巻いているのを感じます。
時折それが、ものすごい勢いで暴走します。

父親の自死のことだけでなく・・・
アルコール依存症で若くして亡くなった叔父のことや、
寂しかった自分の子供時代、思うように身動きが取れない今。

いろんな知識を得ても、それを活かせる場もなく。
社会的には底辺にいる自分にもどかしさを感じるばかりで・・・。
なぜ?どうして?こんなことを知らなければならなかったの?どうしてこんな経験をしなければならなかったの!?そこに、どんな意味があるの?誰か教えて!!!と叫びたい!

悲しみの向こう側は、今の私にはまだまだ遠いです。

R 2010年09月16日 11時16分 [削除]

Rさん
こんにちわ!
永遠の何故?
・・・あたしも、答えが出ないまま「何故」を延々と考え止まず(悔しくて止める訳にはいかず・・?)今に至っているのかもしれません。
きっといくら考えても納得する答えは見つからないんだろうなーっと思いつつも・・・「何故?」って思わなくなるのも怖いのかも?
「何故」の答えがもし解ったとしたら・・?
それはそれで苦しむような気が薄々しているのかな・・?
だから・・あたしは永遠の謎としていても今はいいのかなーって思う事で救われてて・・
とは言え・・・実際は、この悲しさ、悔しさ、怒り、寂しさ、怖さ・・が日常生活の中で顔を出し厄介な事も未だ多いもんで・・
「大切な人は突然居なくなる」と言う思いはなかなか消えません。
日常でもちょっとした事が「死」に直結してしまい、反射的に反応してしまうんです。
数年前よりアタシはセラピーを受けはじめ「ここも癒す事が必要な部分」と思う事が出来て今は少しずつ向き合う事をしています。
今でも「死」に対しては反射的に、嫌っ、嫌いっ、怖い、やめてっ!・・という思いが襲って来る事はしばしばだけど、「まあ、まあ、ちょっと落ち着けっ!いつものが始まったぞ!」と現実なのか妄想なのかとちょっと立ち止まる事が出来る時も増えたかなー?
これはアタシにとっては新しく身についた凄いアイテムで、以前よりは楽に生きられるとっておきの「技」なの・・
これが、セラピーを受ける事で変われた部分なのかも?
悲しみの向こう側をお互い見てみる為に、まだまだ遠い道のりかも知れないけど・・見ないのもなんか悔しいじゃんっ!
って思い続ける為に、同じ仲間が必要だなーって思いでアタシはこの場を活用させて貰ってます!

つくし 2010年09月19日 16時37分 [削除]

つくしさん
遅くなってしまいましたが、コメントありがとう^^

永遠のなぜ?に答えは出ないかもしれない・・・
でも、それでもいい、それと共に生きて行こう!!と思える日が来るって、
今の私はちょっと思えています。

悲しみの向こう側はまだ遠いけど・・・
仲間の力を借りて、昨日は一歩前へ出れたかも^^

R 2010年09月24日 13時52分 [削除]

Rさん、つくしさん

コメント大切に読ませていただきました。
永遠の何故
私たち自死で遺された者にとって大きな大きなテーマですよね。

悲しみの向こう側

著書の中に書かせてもらっていますが
生きていこうという前向きな気持ちだけでなく
私には「本当の寂しさ」が待っていました。

人の世話をして感じないようにしてきた
空想ばかりにふけって感じないようにしてきた
問題のある人の傍にいて右往左往して感じないようにしてきた
パニックなどの症状で出して感じないようにしてきた

全て無意識にしてきた私の寂しさからの防衛・・・
けなげだな(T_T)

悲しみをしっかり感じて表現したあとに
見えた「私の」悲しみの向こう側・・・それが「母を失った寂しさ」だったなんて

喪失の影響の深さが分かって頂けるかもしれませんね。


そういった意味でも同じ仲間って宝ですよね。
私も数年前にWSで出会った同じ経験を持つ仲間とハグし合って泣きました。
説明なんていらない。


一歩前へ

お二人とも本当に素敵な一歩でしたよね。

abe 2010年09月24日 23時01分 [削除]

ゆかり先生、コメントありがとうございました。

先日また一つの死を見届けて・・・。
先生の言う、悲しみの向こう側にあった「本当の寂しさ」が、
やっと少し理解出来たような気がします。

私もずっとそこを見ないようにしていたんだな〜と、
今更ながらやっと気づけたようです。

なんて深くて、シンとした寂しさなんでしょう。
ここを見れるようになったのは、癒し?成長?回復?の成果なのでしょうか。
これを自分で引き受けて、生きていく。
そういうことなのでしょうか。

R 2010年09月29日 09時29分 [削除]

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